ポケットモンスター、ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール
私は紛うことなき、ポケットモンスターダイヤモンドパール世代なのだ。
今回はそんな私の幼少期のポケモンの思い出について綴りたい。
幼少期の私は間違いなくポケモンはオスとメスならオスの方が強いと思っていた。そのため私のボックスの中のポケモン達にはもれなく金玉がついていたということである。
なぜ幼少期の私はオスの方が強いと思っていたのか。これは、私個人の問題に留まらない。これは本当に根深い世界的な問題なのである。
それについて私は考えていきたいと思う。私1人が考えたところで何が変わるわけでもない。
しかし、世界中の誰もがなぜ筆者のポケモンには金玉がついていたのかについて考えたとき、世界は今よりもきっと金玉色に美しく輝いているはずである。
メンタリストと焼き肉
メンタリストの挙動一つ一つが、人間の生まれながらに持つ本能に作用するように計算されていると思われ、謝罪の言葉、態度、タイミングが素直に心に入ってこなくなる。
計算と感情は相容れない。
人は誰しも賢いと思われたいものだ。しかし、この炎上は、彼が多くの人々から賢いと思われているが故に鎮火しないのは、皮肉なものだ。
炎上と皮肉で思い出したが、焼き肉を久しく食べに行っていない。そろそろ美味しいタンでも食べに行こうかな。
ところで、私は焼き肉を食べにきたのにも関わらず、冷麺も食べたくなってしまう。
絶対に元が取れないのは分かっているのに、勝てない勝負に挑みたくなるのはなぜだろう。この勝負で冷麺は完全に悪手だ。冷麺がお腹にずっしりときて肝心の肉はそこまで食べれない。
次焼き肉を食べ行くときまでに、燃え上がる欲求を我慢できるように、冷麺タリズムについて勉強したいと思う。
河野太郎トリガー
河野太郎という人をよくニュースでみる。この人を見るたびに、私は中学のときの彼に顔が似た体育の先生を思い出す。
その人は概ね立派な先生だったと思う。しかし、ひとつだけ不満に思っていることがあるのだ。体育祭で騎馬戦という種目があり、騎馬に乗った上裸の男子生徒たちが取っ組み合い、体が地面と平行になったらその騎馬は脱落となるというルールであった。審判は教師たちである。
この危険な種目を廃止させなかった。むしろ、男らしさの象徴のような種目として賛美していたこと。これは過ちであったとしか思えない。なぜならこの種目で骨折などの怪我をした生徒が多くいたからだ。
陸上部のキャプテンもそのうちの一人であった。彼は誰よりも熱意を持って練習に取り組んでいた。しかし、彼はこの怪我によってギプスをはめながら中学校生活最後の大会に臨むことになったのだ。
彼が骨折したときの体育教師の顔が忘れられない。何食わぬ顔をしていた。誰よりも責任を感じるべき存在なのに。
陸上部の彼は優しくて、純粋な人間なのできっと誰も恨んではいないだろう。しかし、私は今でも自分のことのように、その出来事に対してはらわたが煮え繰り返り返りそうになるのだ。
河野太郎氏がもし総理大臣になるならこのときの体育教師のようには、なって欲しくないと切に願う。
小室圭スパイラル
ぼくは大学で勉強していると、いやが応でも未来を意識してしまう。それは次のようなものだ。
社会人として会社へと向かう電車の中、向かいの席に男性が座っている。彼はスマートフォンを見ているが、ぼくがじっと見ていると、彼は顔あげる。その顔が小室圭氏にそっくりなのである。
結婚式で牧師が僕に永遠の愛を誓うかどうかの伺いをたててくる。僕は妻を安心させるためにも、ありったけの自信を込めて誓いますと真っ直ぐな眼差しで答える。そのときの牧師の満足そうな顔が小室圭氏にそっくりなのである。
歳をとってやっと散歩する楽しさが分かった。挨拶をすると心が温かくなる。いつもの場所、いつもの時間に柴犬を散歩させているおばさんに挨拶をする。賢いもので犬も私の顔を覚えているようだ。芝犬がハッハッと楽しげに息を弾ませながら、私の膝に前足を乗っける。柴犬の頭を撫でる。そのときの柴犬の至高の表情が、小室圭氏にそっくりなのである。
この先10年、20年経っても小室圭氏は私たちのそばにいる。私たちの心に掛けられた、小室圭氏のペンダントが、世の中に蔓延る悪意の銃弾から本当に大切なものを守ってくれるのである。
いつまでブログを書くかの宣言
私は20の童貞。
今日はこのブログをいつまで書くかだけ、宣言したいと思います。
それはもちろん、童貞を卒業するまでです。
この宣言を出すにあたって、このブログをいつまで書くことになるのかと想像せざるを得ません。
もし、40歳になったときにまだこのブログを書いてたらという悪い考えが、私の体の中身を凍らせました。
でもいいんです、深部体温が下がると眠気が促され、寝入りが良くなるそうなので。
起きたら童貞じゃなくなってればいいのに。(ずっと真夜中でいいのにリスペクト)
それじゃあまた。